第四章 智真理注意報!

よろずなホビー
憑依注意報!/第一章 第二章 第三章 第四章 第五章

『……無駄足だったか』
 夕方近く、憲は市内でゆいいつ残る風呂屋の煙突の上で、カラスと並んで街を見ていた。
 覚えたての瞬間移動術で、誰もいないトイレにすぐに侵入できるようになったのはいい。捜索時間もかなり短縮できた。午後だけで、一気にすべての発見場所を巡ることができたのだ。
 だが、なにも見つからない。
 なにものこっていない。
 探せばかならずなにか見つかると思い込んでいたようだ。
 憲は自分の甘さを痛感していた。
 警察が何人もの捜査員を動員して、犯人がまだ捕まらないのだ。素人の捜索でそう簡単にいくはずがない。
 そもそも憲が玲華に従っていたのは、切り離しを行ってくれた恩もあるが、やはり最たるは桂川の情報収集能力が非常に巨大だからだ。
 いくら憲が生者に見つからずに自由に行動できる幽霊とはいえ、元となる情報なしに単独でどうやって殺人犯を探すというのだ。憲は自分を殺した人間の顔をろくに見ていないのだ。
 憲は悔しい。犯人の顔さえ知っていればもっとやりようがあるだろうに。便利な幽霊であろうが、生者となんら変わらない。
 個人でできることには限りがある。
 だからこそ闇雲に動かず、じっくり腰を据えて対象を絞らなければならない。
 とりあえず整理しよう。
 うちの高校――先山だ。
 玲華によると、先山高校の隠しカメラを発見したのはふたつとも玲華の母、桂川章子だという。玲華は力を個人的な道楽で使用することが多いが、桂川の会長でもある章子は、桂川に関する利益、不利益に関する運命視を日々行っている。
 まず七月の女子バレー部。章子は運命視で察知した兆候を玲華に知らせた。またある指示を娘に出した。玲華は凪影を使って、いかにも偶然に部員が発見するようにしむけた。
 わざと警察沙汰にすることで、犯人への牽制を狙った。
 なにせ犯罪者本人の運命視はできないのだ。たとえ学校のイメージダウンに繋がろうが構わなかった。隠していれば、さらに被害が出るだけだ。
 理事長の玲華は女の子。母に指示されるまでもなく、女の敵である痴漢野郎の跳梁を許す消極的な手を取るつもりはなかった。
 話を聞いたとき、憲は犯罪でなく、欲の運命視をしたらどうか、と提案した。
『すでにわたくしがやったわ。でも世の中の男って、本当に助平で汚れていて……とうてい特定するのは無理よ』
 当の「男」をまえに堂々と言うあたり、よほどいやなものがしかもかなり大量に降ってきたのだろう。
 なんとなくわかる。
 憲も幽霊になってから、アレな方面でいろんなことができる可能性をまったく考えなかったわけではない。年頃の男ならむしろ気付かないほうが異常だろう。だが性格的に憲にはとうていできない。
 カメラが発見された現場に入るとき、瞬間移動の術に正直感謝したぐらいだ。
 瞬間移動が使えない場合、どうしてもその部屋を使用する女性のあとを付いていく必要がでてくる。そうなると憲は否応に痴漢行為を働くことになるのだ。
 さて、憲が殺された日に発見された教務棟二階東トイレのカメラ。
 こちらは章子は娘にしらせず、直接仁科先生に暗示を送って、さらに源吉じいさんの念動を併用して発見させたらしい。
 暗示……霊能力も年期がはいると、生者にも強力な言霊を、しかも遠隔で送ることが可能になるという。ここまで来ると霊感のレベルを超えている。
 どうでもいいが、源吉じいさんはよくハルさん現象を起こさなかったものだ。もっとも源吉じいさんは、若い長髪の子にしか反応しないらしい。仁科先生は髪こそ長いが、自称でも四〇歳だ。
 先山高校だけでなく、章子が発見した隠しカメラは、一連のカメレオン騒ぎの九割近くにのぼるという。いずれも玲華が凪影等を使うか、あるいは章子が暗示を特定の人に送ることで発見させていた。
 隠し撮りカメラは発見されにくいため、違法な裏ビデオの世界では、儲け話として機能しているらしい。
 だが今回の先山高校からはじまった一連の騒ぎは、統計学的にも異常に高い発見率を示している。県警は隠しカメラはまだまだあると踏んでいるが、じつはことごとくが発見されている、と玲華や章子は自信を持って判断していた。
 また異例で警察本庁が動き、裏ビデオ界を全国規模でチェックしている。これはマスコミが騒いでくれた功績が大きい。
 いまのところ河地市を中心とした盗撮モノが出回った形跡はないという。この大捜査ついでに、一五組の盗撮グループあるいは個人がおもにネット販売関連で日本各地で相次ぎ検挙されるという副産物があった。
 副産物はともかく、捕まる危険性があるので販売できず、経費を回収できない盗撮団。さらにどれほど巧妙に隠しても、あまりにもあっさり発見されるカメラたち。
 これが盗撮団カメレオンになにかの焦りみたいなものを生じさせた可能性はないだろうか?
 とくに先山高校の今回の発見はすごかったようだ。
 一度目は推定数週間が経ってからの発見だったが、二度目、すなわち今回は取り付けられてわずか数十分での発見だった――警察は取り付け二~三日以内と判断しているが、章子によるとまさにわずか数十分だという。
 その発見に犯人は驚いたのだろうか?
 だからトイレに戻ったのだろうか?
 もっともこれは、カメラを取り付けた者と、トイレに隠れていた者が同一人物であるという前提が必要だった。憲は同一人物であると思っている。だからこそ過去の現場をこうして回ったのだ。
 盗撮事件の犯人がどうして隠しカメラが発見されたかをすぐに知ったかであるが、それは問題ない。
 今回発見されたカメラは超小型で、それ自体に録画機能はないものだ。つまり画像情報を受信機に送信するタイプである。
 ただし電波が弱いので、受信機はかなり近くに置かないといけない。もっともこれは中継装置を使えば、犯人はさらに遠くからでもリアルタイムでカメラの映像を確認できる。
 犯人は受信機を見る限りにおいて、カメラに異常があればその瞬間に知ることができるのだ。
 この仕組みは多くの盗聴器と似たようなものだ。そして盗聴器を発見する機械がある以上、送信タイプは割合簡単に発見される。よって一連の事件で送信タイプが使われたのは、全体の三割ていどだ。
 あとこの盗撮事件で使われている隠しカメラは、あまりにも多種多様に渡っている。精緻な超小型のものがあれば、家庭用ハンディカムが使われたこともある。
 まったくおなじ機種が使われたケースは一件もなく、それゆえ犯人を仮称「カメレオン」と呼ぶのだ。いまでは完全に市民権を得た、世間一般での呼び名になっている。
 それでいて足をほとんど残していないのがすごいところだ。
 一度発信タイプで受信装置が公園の茂みで発見されたことがあるが、これは生暖かいハンバーガーが近くにあり、わずか数分の差で取り逃がした。
 それで受信機はおろか、ハンバーガーからも指紋は見つからなかった。
 包みからハンバーガー屋は特定できたが、防犯カメラに手袋をつけた客は映っていなかった。歯形から大人らしいとだけ判断されたが、パンなので断定は困難だ。わずかな唾液が採取されたがDNA鑑定は無理だった。
 あと頭髪が見つかったが、密室でなく野外なので犯人のものである保障はまったくない。散髪三週間後ということと、ムースの種類が特定されて男の毛らしいとわかったがなんの意味もなかった。
 それと今回の先山――殺人を犯した者と同一人物だという証拠はないが、状況的にかぎりなく確率は高い――は平良が犯人と格闘するところまで行き、智真理も顔を見ている。
 こちらの犯人も手袋をしていたのか、犯人らしき指紋は一切ない。ふたりの目撃者は相手の顔周辺に気を取られ、手袋の有無は覚えていない。殺された憲もだ。
 憲の服からは他人の指紋がいくつか検出されたが、すべて知人のものだった。なかに平良のものがあったが、これは憲が平良からライトを奪った際のものだろう。
 とにかく犯行者との接点はこの二回だけ。そして発見された機械そのものは、まったく足がつかない。
 ほとんどが盗品で、のこりは自作組み立て。それらの生産場所も時期も販売店も完全にばらばらで、日本全国に散らばっている。犯行が河地市とその周辺に限られているのに、である。
 自作は細かい部品の工場や店までは特定できるが、生産時期が新しくても二年はたったやつで、総じて古かった。
 おかげで店の者は誰も買った人のことを覚えていない。防犯カメラがあっても記録などすでに消してある。帳簿にまれに名前があっても、すべて偽名だった。
 ここまで機械で綿密に準備をしているのだ。隠すほうも非常に芸が細かい。どちらかだけ突出しているというのは、こういう職人肌な犯罪では先鋭者になるほど減ってくる。
 が、なぜかつぎつぎに発見される。玲華の情報によると、警察も首を捻っているらしい。
 通常ならとうてい見つからないであろうケースがけっこうあるからだ。もっともまさか超能力の類、一般でいかがわしいとされる力で阻止されているとは、カメレオンとしても思いもよらないだろう。
 プライドはずたずたなはずだ。
 それゆえ今回のわずか数十分の発見――それが犯人をなにかの行動に駆り立て、犯行現場に帰ってきてなにかをするきっかけになったのでは?
 そういえば――
 憲は思い出した。
 問題のトイレは午後、点検していて入れなかったと、智真理が言っていた。
 その点検に関して、警察の捜査資料にも玲華の話にもまったく出てこないのは、どういうことだろう。
 まちがいなく犯人は点検を利用していたのではないのか? なにせ取り付け数十分で発見ということは、昼間に行ったということだ。
 これは話を聞くべきだ。
 憲は立ち上がった。
 隣にいたカラスが霊を感じられるのか、いきなり飛び立った。
 章子会長に直接会って話を聞こう。
     *        *
 玲華は十市屋のまえに車を停めさせた。
 邑居をのこして、十市屋に入る。
「いらっしゃい」
 智真理の父、勇人が白服の菓子職人姿のままで出迎えた。売り子をしている智真理の母である撫緒は、この時間は夕食の買い物に出かけている。
「これはこれは、桂川のお嬢さん」
「お化け饅頭をひとつ頂けないかしら」
 これに若いおさげの売り子が、
「すいません、饅頭は予約分しかもう――」
「いえいえ! ありますともありますとも。ぜひお持ち帰りください」
「親方! それ、あたいの……」
「店長と呼べと言ってるだろ」
 勇人は売り子の頭をはたいた。
「ああ……彼氏に頼まれた饅頭が」
「さあ玲華さん。本日最後のひとつですよ」
「ありがとう」
 玲華は平然としている。こういう優遇には慣れている。
 十市屋の箱を渡される。一キロ近くはあるだろうか。これで一個とは、どういう饅頭なのだろう。
 箱の表では売り子とおなじ明治か大正時代のような着物に前掛をつけた、可愛い女の子の絵が、皿に載せたお化け饅頭を片手にウインクしていた。
 誰かに似ている。
「智真理ちゃん?」
「あー、まあそんなもんですわ」
 売り子が勇人の裏からぼそり。
「それは奥さんの若いころのらしいですよ」
「うわっ、なにを言いやがる!」
 あせる店長に微笑む玲華。
「かわいい奥さんですね」
「いやあ、撫緒はもうひなびてますよ」
 でれでれと照れる勇人。この人柄が十市屋を支えているにちがいない。
「いくらかしら」
「いやあ、いいですいいです」
 勇人にとって玲華は十市と室崎の間を取りもち、葬祭および埋葬費を割安にしてくれた恩人だ。
「あらそう。ではありがたく頂戴しますわ」
 買うのではなく貰った。よし、外れてはいない。
 一礼すると、玲華は十市屋を出た。
 しかし十市屋の前からなかなか動こうとしない。
 邑居が近づいてきた。
「お嬢」
「一〇分待って」
 邑居は無言で頷き、下がっていった。
 玲華は待っていた。
 朝の運命視のとき、十市屋でお化け饅頭を貰えば待ち人来たりと出た。さいしょはそれを憲かと思ったが、憲とは昼に会った。となると、玲華がほかに会いたい者とは――
 くう。
 不意に玲華のおなかが鳴った。
     *        *
『ハルさんはどこじゃね?』
『あんちゃん、遊ぼうよ!』
 桂川邸に戻った憲は、玲華の母章子に会おうとした。
 しかし章子は会長の仕事があって、まだ戻ってないらしい。
 生きている人間に聞くこともできないので、憲は仲間たちの協力を仰ごうと思った。しかし幽霊のほとんどがエネルギー補給かなにかの用事で出かけており、お留守番の幽霊は源吉じいさんとたっちゃんしかいなかった。
『ええと、おたずねしたいことがあるんですが……』
『おまえさん髪が長いのう』
『ねえあんちゃん、今度はストローをくぐろうよ』
『ええと……』
『ハルさんや、散歩でもせんかね』
『あんちゃんあんちゃん』
『せいや!』
 怒った憲が指を差すと、源吉じいさんはくるくると回り、たっちゃんは一〇人に細かく分裂した。
『うわーん、あんちゃんがいじめるー』
 一〇人のミニたっちゃんは、ばらばらに走って逃げ散る。
『……はにゃ? ここはどこじゃ』
 回復した源吉じいさんに憲は章子会長の居場所を聞いた。
『会長さんかね、それなら任せておけ』
 とつぜん源吉じいさんの口調が変わった。
 源吉じいさんはどこからともなく霊体の人力車を出現させた。
 じいさんの服もなにやらいかにもな明治風の格好になっている。
『乗りたまえ』
『…………』
 憲がおそるおそる乗り込むと源吉は、
『ふぉふぉふぉ! 源吉の人力車をとくと御覧あれ~』
 民謡を歌うような口調で人力車を発車させ――
『はやすぎ! ぬおををを!』
 すさまじい速度でかっとばす。
『♪ふぉふぉふぉふぉふぉ~』
 角を物理法則を無視して最高速のままカクカクと曲がる。車にぶつかってぽんとはねとばされた。しかし空中で静止すると、何事もなかったかのようにまた走りだす。
『げ、源吉じいさん!』
『♪ふぉふぉふぉふぉふぉ!』
 だめだ……完全に我を忘れている。
 憲はまた源吉に言霊を使おうと指を立てた。
『だめだよあんちゃん』
『たっちゃん!』
 指にミニたっちゃんが掴まっている。分裂したうちのひとりだろう。
『あんちゃん、こんなときの源吉じいさんはいつも正確だよ』
『……信じていいのか?』
『命をかけてもいいよ』
 たっちゃん、おまえはもう死んでいる。
     *        *
 なにが起こっているのだろう?
 智真理は今日何回目かの首を捻る動作をした。
 知らない間に早退届けが出ていた。
 また恵子をはじめとする友人たちがなぜか謝るので、かえって居づらくなり、智真理は五時限目がはじまる鐘とともに早退した。
 ゆっくりと道を下り、だるまカーブでお祈りをし、自転車で憲の墓と、そして憲の病院を訪れた。
 室崎憲の体は、かわることなく眠るようにベッドに横たわっていた。まさに時が止まるとは、このことだろう。
 だが――
 話せない。怒れない。笑えない。泣けない。成長できない……
 時が止まるとは、そういうことだ。
 もはや記憶のフィルムを過去に巻き戻すことでしか、動く憲とともにはいられない……
 そのことをやはり突きつけられる。
 智真理は一時間ほど憲を見つめたあと、病院をあとにした。
 家に帰るのもなんなので、憲との想い出の場所を自転車で巡った。だがそれはけっきょく過去の喧嘩場巡りになってしまった。
 さいごに訪れた場所は、河地港だった。
 港は河地市の内陸にあるが、それは湾が平野内部にまで入り込んでいるからだ。
 ありふれた一〇万都市河地市。その港はたいして大きくもなく、質素だ。フェリー乗り場を智真理は歩いた。
 岸壁につけた小型のフェリーを見上げる。
 それは子供のころは、とてつもなく巨大に見えた。
 フェリーにおびえる智真理を父勇人は肩を叩いて、母撫緒は手を繋いでなだめた。
 少年が降りてきた。
 たった一人で、リュックを背負って。
 少年は智真理をにらんだ。
 智真理も少年をにらみ返した。
 それが憲とのさいしょの出会いだった。
 学校はずっと一緒だった。
 中学までは仕方がないが、高校は変えることもできた。
 自由で新しい校風がいいと憲が選んだ先山高校に、智真理もなぜか行くと言い張った。智真理の成績なら、県庁所在都市や県外のもっといい学校に行けた。
 だけど智真理は先山を選んだ。先山は私立ながら、いちおう市内では目下偏差値が一番高い高校である。
 学校に入って、憲のクラブに入った。
 ここまで憲の後を追えば、うわさの対象にされても仕方がない。
 だが、その憲はもういない。
 智真理はなのに、死後の憲に振り回されている。
 ――いったい、なにが起きているの?
 智真理は不思議に思い始めていた。
 いきなり割り込んできた、桂川玲華。
 その存在に。
 敵? 智真理はしかし、どうしても玲華を敵とは思えない。むしろ好意しか湧かない。
 謎の同級生、玲華。
 彼女はもしかして、わたしの知らない憲を知っているのかしら?
 憲……
 智真理は自転車を漕いでいる。国道から折れて脇道にはいる。まもなく家だ。
 今日こそお化け饅頭は余っているかしら?
 十市屋のお化け饅頭は美味しい。おおきくてほかほかで美味しい。わざわざほかの町や県外から、口コミで食べに来る人がいるほどである。
 いつもは売り切れるが、まれに売れ残る。
 売れ残るたび職人気質の勇人は子供のように落ち込むのだが、智真理は処分ついでに食べられるので楽しみにしている。
「楽しみにすんなー。鬼だ智真理は」
 というのは勇人の評であるが、むかしから花より団子というではないか。
 今日はなんとなく予感がありそうだ。
 智真理は自転車の速度をあげた。
 ――智真理は気付かなかった。
 横切った十字路の影から、一台の白い車がすべりだして、そして智真理の後を追いはじめたことに。
     *        *
 ミサイルのように飛ぶ人力車の席で、憲はかすかな悲鳴を聞いたような気がした。
『智真理!』
 憲はミサイル人力車から飛び降りるように抜け出すと、すっと下降した。
『あんちゃんどうしたの?』
『クエスチョンオーバードライブだー!』
 言霊を叫ぶと、憲の背中に光の翼がうまれ、そこから謎の粉が吹き出る。
 その謎のパワーで憲は一気に加速する。
『あんちゃんこれなに? すごーい!』
 肩でミニたっちゃんがはしゃいでいる。
『子供のころにやってたやつさ。V2銃ダムっていうロボットなんだけど』
『じゃあぼくもロボットで。 ♪ゆくぞー、原子君~』
 ミニたっちゃんは歌いながら、足先からジェットを吹き出して飛び立った。
『♪ロケットのかぎり~』
 髪型が変わる。二本の奇妙な髪のツノが、おかしな方向に生えていた。
 でも憲の肩から離れたため、すこしずつ離される。ミニサイズで霊力が劣るのだ。
『うわあー。鉄腕原子を置いてかないでー』
『がんばれよな』
 たっちゃんを無視して、憲は謎の力でさらに速度をあげた。
 智真理が危ない!
 憲は自分でもよくわからないが、なぜか智真理の危機を感じ取っていた。
 これも霊のなせる技か?
 生前はいくら憲が智真理の背中を守っていたとはいえ、このように見聞きできない距離で危険を知ることはけっしてなかった。
 ――こっちだ!
『跳躍!』
 憲は謎の加速を行いつつ、瞬間移動を使った。一回で二〇メートルくらい距離を稼げる。
 ちょっと消耗した。
 数秒待ち、力が再チャージされるのを待つ。幽霊とはいえ蓄えている全エネルギーを一気に使えるわけではなく、許容量がある。
『跳躍!』
 どうん!
 高速で飛びつつ跳躍を連続で繰り返し、憲は智真理のいる場所を目指した。
 一分ほどして、智真理を視界に補足した。
 自転車を必死に漕いでいる。
 そのあとを、白い大衆車が。
 車が智真理を襲う。
 智真理は必死にハンドルをさばき、その一撃をかわした。
 車はしかし音をたててタイヤを滑らせながらその場でクイックターンした。ふたたび智真理を追う。
 轢こうとしている!
『せいや!』
 憲は念じた。
 智真理が漕いでいる自転車が急加速した。ペダルの回転数もうなぎ登りだ。
 智真理が驚いて、自転車のバランスを崩した。ペダルが速すぎて足で踏めない。
『しまった!』
 智真理は転んだ――いや、ふわりと落ちた。
『凪影!』
 智真理を抱えたのは、どこからともなく現れた凪影だった。
 しかし車は一気に速度をあげ、智真理に死を与えようと暴走する。
 まにあわない。
『智真理ぃ!』
 憲は手を伸ばした。まだ一〇〇メートルはある。
 ――だが、車は急にスリップして脇に逸れた。まるでむりやりなにかに押されたかのように。
 憲が見ると、これまたとつぜんあらわれた力士の霊が張り手をかましたようだ。
 本当に突いても逆に吹き飛ばされるだけなので、おそらく念力を使ったのだろう。実際のアクションを交えると決まりやすい。
 車は急停止してエンストを起こした。
 智真理はその隙に自転車に乗り、また逃げだした。その方向は――十市屋だ。
 憲は智真理のあとを追った。
 車はすでに動きはじめている。
 凪影と力士もついて来る。
 憲は凪影に話しかけた。
『凪影さん、恩に切ります』
『拙者は命令をこなしているだけだ。会長が危険を運命視した』
『おいらは助っ人さ』
 まわし一丁の力士は笑う。
『白雲《しらくも》殿、車の運転手は見たか?』
『いんや姉御、中が見えないガラスだよ。しかも防弾だねたぶん』
『そうか。拙者はナンバープレートを見たが、取り付け具から見て偽造か盗難だな』
『せいや……』
 憲は感嘆した。あの短時間でそこまで観察していたとは。凪影も力士――白雲も、ただものではない。知識も含めて。
 ――と、後方から車だ。
 凪影と白雲はさっと避けたが、憲はまともに跳ねとばされた。
 そのショックで光の翼が消えた。
『跳躍!』
 憲はすかさず言霊。
 それでぽんと車内に移動した。
 だが跳ばされたベクトルがまだ残っており、車内をあちこち反射しまくった。
 反射しながら、憲は車内にいるのが運転手一人ということだけを理解した。
 目を回した憲がようやく助手席に降りたとき、また車に急な横ベクトル。
 凪影か白雲のどちらかだろう。
 憲は助手席の窓に顔を押しつける格好だ。
 自転車の智真理が目前を通過する。蒼白な顔で憲を見ていた。いや、車をだ。
 運転手はすぐさま体勢を立て直す。
 素人目にもすごい運転テクニックだ。
 憲は運転手の顔を見ようとする。
 だがまた揺れ、憲は転んでしまう。
 速度をあげた。
 おそらく智真理が先にいる!
『ブレーキ!』
 叫んでみたが、無駄だった。やはり自動車クラスはまだ無理だ。
『こうなったら乗っ取ってやる』
 憲は暴走野郎に憑依しようと体当たりをした。
 ――だが、すり抜けるだけだった。
 憲は勢いあまって運転手側の扉にぶつかり、またもや車内を反射しまくった。
『智真理のときはいったのにぃぃ』
 いや、あれはむしろ智真理には憑依してしまった、といった感じだった。
 智真理以外ではまだ無理なのかもしれない。
 このままではだめだ。
『跳躍!』
 憲は車外に出た。
 角を曲がれば十市屋という位置だ。
 智真理は角を曲がる。
 だが速度があり、曲がりきれずにコンクリート塀に――智真理は大胆にも壁を蹴った。
 が、反対側に倒れてしまう。
「きゃっ」
 こんどは凪影も白雲もまにあわずにまともに転んだ。
 そのまま動かない――頭を打ったわけでもないのに、気を失っている。
 こんなときに気絶の特質が!
 突っ込む車。
『どりゃあ』
 白雲が瞬間移動して、車に張り手――ぎゃくに突き飛ばされた。力のつかいすぎか?
『跳躍だー!』
 憲は叫んだ。同時に念じた。
 智真理の中に!
 つぎの瞬間、憲は五感を感じていた。
 目を開ける。車だ。
 車の横から凪影が刀を一閃。
 それでタイヤの一本が浮き上がり、パンク――しない。
『防弾タイヤ!』
 仰天する凪影。
 だが車はバランスを崩した。
 しかしなお智真理に突っ込んでくる。
 左だ!
 智真理の憲は左に跳んだ――足を捻っているようだ、半端な移動。
 迫る車。これではまだ轢かれる。
「まだ左!」
 と、体全体に左方向の力が加わる。
 その反動を利用して転がる。せいや、まさかこの状態で言霊を使えた?
 車が助手席側から、壁にななめに突っ込んだ。削られたコンクリートの破片が飛び散る。
 それから逃げるため、智真理の憲は目をつむってさらに転がりつづけた。
 ――音がやんだ。
 ふう。智真理の憲は仰向けにねそべる形で止まり、額の汗を拭った。
 目を開ける。
 あん?
「いちごのワンポイント」
「なにを見てるのよ!」
 白地にいちごはさっと視界から消えた。ブラウスと、そして玲華の真っ赤な顔。
「げ!」
 あわてて智真理は立ち上がる。
「イテテ……あちこち打ってるみたいです」
「だいじょうぶ? 智真理ちゃん」
「あ、いまは憲です」
「え……」
 とたん玲華の顔はさらに完熟トマトになる。手に持っていたなにかをぽとりと落とした。
 食べかけのお化け饅頭だ。かじり口を見たら肉まんのようだった。
「饅頭の責任取ってよね!」
「不可抗力でしょう! それよりも、智真理を襲った犯人を見ておかないと」
「……これが待ち人ね。邑居さん、お願い」
 後から来た邑居がのしのしと歩み寄って、止まったままの白い車の運転席の窓にむかって鉄拳を――
「あ、それたぶん防弾ガラス」
 智真理の憲がつぶやいた言葉で、わずか一センチのところで邑居は寸止めに成功した。
 智真理の憲を見てドンマイドンマイと手を振るが、その顔には隠せぬ冷や汗が垂れていた。
 そして懐に手を忍ばせると、一本の針金を取り出して鍵穴をかちゃかちゃ。
 数秒で鍵が開いた。
「もしかしてかなり多芸なのですか、彼」
「変装以外ならなんでも」
 邑居が運転席を開こうとしたとき、
「智真理! どうしたんだ!」
 店から十市勇人が、血相をかえて飛び出してきた。すごい音だったからまあ当然だろう。そういえばかなりのギャラリーがいる。
「こんなに汚れて、足もすりむいてかわいそうに――」
 走ってきてさっとかがむや、血が出ている娘の左膝小僧を舐めようとした。
「せいや、この親バカ」
 智真理の憲はおもわず、右足の靴裏で勇人の顔面を踏みつけていた。
「ぢばりぃー、そんがぁぁ」
「お父さん、それよりもあれ」
 智真理の憲が白い大衆車を示すと、
「なんじゃおんしゃあ!」
 勇人は火山のように怒った。状況から見て、白い車が犯人であるのは明白だ。
「こんの野郎!」
 がにまたで走っていき、邑居を押しのけて一気に扉を開けた。
「きさまぁ、よくもうちの智真理を!」
 中の運転手を引きずり出そうとする――と、白い車のエンジンが急にかかった。
「危ない!」
 智真理の憲が叫ぶと同時に、車はバックして壁から離れた。ぶつかった助手席部分はかなりひしゃげていて、フロントガラスの助手席側にはひびが入って変形している。割れないのは防弾ゆえか。
「おおお」
 勇人が犯人に蹴られて車から落ちた。
 邑居が飛びつき、勇人をキャッチすると、庇う形で地面を転がった。
 車の開いた運転席ドアを、犯人は閉めようとした――ウゥゥ――サイレンだ。
 警察が来たのだ。誰かが通報したのだろう。
 あわてたのか、犯人はタイヤをきしませながら急発進した。そのドアが開いたまま――いや、ちょうど智真理の憲と、玲華のまえで風圧でばたんと閉まったが……
「まさか」
 一瞬だけ、智真理の憲はその横顔を見た。
「いや、まさかな……」
「いいえ、そのまさかよ」
 首を振る憲にかわり、玲華が言った。
「――平良よ。まちがいなく」
     *        *
 警察が来ると、現場はますます混雑した。
 智真理の憲は面倒なので「せいや!」と言霊とともに智真理から飛び出した。智真理はその場でぐったりと元通り気絶状態になった。
 その憲と玲華に、凪影からついて来てくれるよう要請があった。
「なぜです凪影。いえ、そもそもなぜここにいるの?」
「会長がお待ちです」
「――お母様が」
 元々目撃者が多数いる関係から、邑居を証言者としてその場にのこし、憲と玲華は凪影、白雲の後をついて脇道に入った。
 裏道をすこし進むと空き地があり、そこに日傘をさした女性がいた。外見的には、二〇代前半といったところか。
 その女性の側には、黒服黒眼鏡の男性が数名、直立不動で立っている。
 そして女性の周囲には有象無象の幽霊たちが、なにやら老人会の集まりのように無秩序に戯れていた。いや、じっさい多くが老人であったのだが。
 そのなかにはミニたっちゃんや元の幽霊幽霊した格好に戻った源吉じいさんもいた。よかった、こちらに合流していた。
「お母様」
 玲華が近寄ると、その若い女性――いや、章子会長は日傘を閉じた。
「玲華、この件に関するあなたの指揮権を剥奪します」
「え……どうしてですの?」
「事態はもうあなただけでは、どうにもならない段階に来ました」
「そんな! わたくしはまだやれますわ」
「十市智真理さんの命にかかわる危機を運命視できなかったのに?」
 玲華の肩がびくりと動き、数歩後退した。
「あなたの意識は、いささか室崎憲君に向きすぎています。凪影から連絡は受けました。新展開はおもった以上に深刻で、十市さんの命も含めた問題――かつ、桂川家の秘密保守にも関係してきています」
 憲は心配になった。
『すいません……そんな大事なことを、人の目があるここで話していいんですか?』
「ああ、あなたが室崎君ね。はじめまして、わたしが玲華の母、章子です」
『こちらこそどうも。玲華さんから話は聞いています。ずいぶんとお若いですね――ちがう! ですので、ここで大事なことを……』
「だいじょうぶよ。人払いの結界を張ってあるから」
『結界……』
 そういえばこんな怪しい黒服黒眼鏡の集団がいるのに、誰も視界内にはいない。ちかくの家々も窓はみんな閉じており、まるで一斉に出かけたかのようだ。
「とにかく平良の正体をつきとめるのが急務です――おそらく彼はカメレオンの関係者だと思いますけど」
 さらりと言ってのけた。
『根拠は?』
「十市さんを襲ったから」
『……わかりました。平良は実はトイレに隠れていた奴と、じつはグルだった、と考えると自然なわけですね――平良が怪我をしたのは、仲間と思わせないためのカモフラージュであったと』
「おそらくは。犯人を目撃しているのは、十市さんと平良さん、室崎君――でも室崎君は死んでいる。となると、もし逃げた犯人が容疑者として捕まったとき、その姿を確認できるのは、のこった二人だけですね」
『――平良がグルだとすれば、顔見せで違うと言えば、それで犯人は放免される可能性がある、と。ならのこった智真理は……智真理がいなくなれば、誰も真の犯人がそうであると断定できない!』
 体の底から怒りが湧いてくる。なんて自分勝手な連中だ! オレを殺しただけでは飽き足らないのか! 絶対に守って見せる。
「鋭いわね、室崎君。カメレオンには証拠不十分にできる自信があるのよきっと。いまのところ犯罪には失敗していますけど、逃げることには成功していますからね」
『ですがそれが、桂川の秘密とどう関係するのですか?』
「……玲華がいたからです」
「なによお母様! わたくしはなにもしてませんわ」
「十市屋のまえで呑気に、お化け饅頭をほおばっていたと聞きましたが」
 玲華は顔を真っ赤にして首を振った。
「いいえ、あれはただ昼の弁当が半分しか食べられなかったからです……」
「ちがいますわ玲華。平良があなたを十市屋のまえで見た、というのが重要なのよ」
「え――どういうことですの?」
「そもそも今回の隠しカメラ。カメレオンはいままで、一度カメラが発見された施設には二度と手を出していませんわ。灯台下暗しとはよくいうけど、じっさいは犯罪が一度起きると警戒をかなり強めるから、二度目はリスクがありますでしょ?」
『地震とかそうですね。いちど大地震が起きた地域はしばらくは大丈夫なのに、耐震基準を上回る建物が建ち、地震に対する心構えも万端になるといった感じで』
「まあそんなところかしら」
「おもしろくないですわ」
 蚊帳の外に置いてかれている玲華が、足元の小石を蹴っている。
 憲はふと、あることに思い至った。
『カメレオンは先山に再挑戦してきた?』
 犯罪の性質上、盗撮団カメレオンはまちがいなく男だけの集団だ。そして技術力のある集団だ。
 プライドは高いだろう。
 一連の事件でカメラが発見されまくって、さぞかしそのプライドは傷ついていると思われる。それだからこそ、おなじ施設に再挑戦するのだ。
 男にはそういう性質がある。おなじ男である憲には覚えがある。不利でも危険でも、わざと飛び込むのだ。
「ご名答、わたしもそう判断しています」
「お母様。ですがわずか一月の潜伏では、油断を誘うには途半端ではありませんか?」
 玲華が素朴な質問をだした。
「そこがわたしにもわからないところですね。まあリスクを覚悟での再挑戦なら、一月でなくすぐに仕掛けるというのもあるでしょうし。なにか葛藤があったのでしょうね」
『いずれにせよ今回は、わずか三〇分で発見された』
「わたしとしたことが浅はかでした。あまりに怒ってしまい、つい早期に発見させてしまいました。おかげで犯人がやった『点検』について、警察を誤魔化す必要がでてきて……」
「初耳ですわ、お母様」
 それは憲も知りたかった事項だった。
『どうしてです?』
「警察が隠しカメラの設置時間を特定できてしまうのよ」
『それならむしろいいんじゃ……』
「せいぜいで数時間から三〇分まえ。警察もおかしく思いますわ、隠しカメラがこれほど短時間で発見されることに。そもそもカメレオン事件は、隠し方に対して発見される回数があまりにも多いのよ――警察内でも、なにかがあると感づいている者も多いのですよ」
『それが桂川の力だと思われたらまずいというわけですね』
「ええ。すこしでも不安要素があるなら、それはできるだけ抑えないと。部外者に知れたら、どのような想定外のトラブルが起こるかわからないんですもの」
 古い家も大変だ。だが――
『力で抑えることができないんですか?』
「いままではそれで通用しました。県内ならまだなんとかなります。ですが今回警察は部分的に東京の本庁が動き、マスコミ各社も全国が相手。県外は無理です」
 そういえば大杉の力とやらは、有効範囲が限定されるのだった。それゆえ桂川グループは県外にほとんど進出しない。
 県外……憲はぴんと来た。そういえばカメレオンは――
『……もしかしてカメレオンも全国規模』
「また正解よ。カメレオンもカメラの出自が全国に散らばっているのを考えれば、おそらく県外にも活動拠点があるわね」
『それに……』
 凪影だ。
『それに、たかが娘一人を轢くのに持ち出した車が、窓にもタイヤにも防弾処理を施した物騒なやつだった――盗撮以外にもきっとなにかある』
『……そんな相手が、桂川の力に気付いたらやばいですね。いえ、もう気付いている可能性が――いくら智真理を轢こうとしても、そのつど不思議な力でかわされる。そして最後に、玲華がいた』
「偶然にしてはまさに出来すぎですね。まずなにかあると思うでしょう」
「そんな……お母様」
 震える玲華。気高く明哲な彼女しか知らない憲が、はじめて見る玲華の脆い側面だった。
 章子は娘の頭を撫でた。
「いいのよ玲華。あなたはあなたの運命視をまだ操りきれなかっただけ。運命の糸は常にいくつもの要素が重なっています。知ったことに従いすぎるか下手に抵抗すると、運命が絡み合ってたいてい不幸な結果になるのですよ――気を付けなさい」
「お母様!」
 玲華は母に抱きついた。
     *        *
 ――平良はやはりただ者ではなかった。
 警察の包囲網を見事に抜け出した。
 あれほど壊れた車なので目立ったが、山道に入ってパトカーを振り切った。
 しかもそれきり車が見つからない。
 章子会長は凪影の報告で、玲華と憲が章子と話をする前にすでに手を打っていた。
 幽霊部隊を何人か平良のアパートに向かわせた。
 かれらは平良の個人情報を調べ、平良の友人らしき者たちの家と、そして平良のアパートに張り込んだ。
 しかし平良はどこにもあらわれなかった。
 学校にはどこからともなく六日間の有休届が出され、知らない上司が許可を降ろしていた。
 失敗したときのことをちゃんと考えていたのだろうか?
 あまりにもあらゆることを想定して準備が万端なので、憲には気味が悪かった。
 それこそが、平良がカメレオンの関係者であるとますます思わせた。
 警察は犯人が平良であると認識していない。
 もはや桂川の秘密に関する重大事項なので、章子会長がかなりの圧力をかけているようだ。
 独自のルートを使い、調査のプロが幾人も雇われて各方面を調べているようだ。
 幽霊部隊は裏を返せばお気楽集団でもあるので、調査方面の活動は限度があるのだ。
 平良の家や先山高校の事務室にある平良の机からも、カメレオンに関する有望な情報は得られない。
 平良愛用の自称スーパーカーもどこかに消えている。
 隣の県にある平良の実家、その親戚筋にも監視者が幽霊と生の人間織り交ぜて派遣されたが、二日たっても平良の消息は掴めなかった。
 その間、智真理は学校を休んでいた。
 なにしろ命を狙われたのだ。ショックがおおきい。
 また記憶にないところでなにかしていたらしいと父勇人からの話で知り、それも付加されていた。
 桂川章子は智真理の護衛を生の人間にはさせなかった。
 智真理はただでさえいくつかの秘密を体験し、また抵触している。これ以上桂川が周囲をうろつくのはまずいだろう。
 というわけで智真理の警護は玲華が受けた。
 ただし玲華本人でなく、玲華が指示して幽霊部隊が行うのだ。
 玲華に与えられた霊は三名。
 憲、凪影、白雲。
 玲華は学校を休み、十市屋近くのアパートを一部屋借りて、名誉挽回とばかりに張り切っている。
 挫折を味わった経験があまりないだけに章子は心配していたが、それは杞憂だった。
 憲は暇があれば凪影と白雲に稽古をつけて貰っていた。
 憲は真剣に取り組んでいる。憲自身は如実な効果を感じてはいないが、凪影によると胆力がついてきたという。
 三日目。
 部屋で本を読む智真理を、窓の外からぼうっと見る憲。
 護衛とはいえすることはなく、憲はあくびをする。
 周囲を一切警戒しない。
 というのも、智真理に危険が及べば憲はその瞬間に知ることができるらしいからだ。
 実際すでに経験済みである。
 凪影が教えてくれた。
『それは「絆の糸」という力だ』
 強く互いが信頼し合う魂は、なにかあればすぐに相手のことを知れるという。
 ただそれが本人が自覚できる強さで働くには、それなりの霊力が必要らしい。
 いわゆる虫の知らせといったものだが、力が強いと相手の状態や位置までわかるのだ。
 憲の霊力はわずかな短期間で、本物の霊能者のレベルに高まったことになる。
 幽霊が自分を鍛えた場合、それは体を鍛えるわけではなく、霊力だけを高めるという。
 生者から蓄えた活力は、一度には使えない。
 人間が食物から吸収した栄養を一気に使えないのとおなじだ。
 霊力とは一度に使える活力の許容量のようなものだ。
 鍛えるほど増え、より高度な術や言霊を使えるようになる。
 ――浮け。
 憲は念じる。ふわふわと浮く。
 死にたてのころは泳ぐように手足を動かさないと無理だったのが、いまではこの通りだ。
『それにしても――』
 憲はいろいろと考える。
 憲は自分を殺した犯人が、もしかして平良ではないかと考えるようになっていた。
 確証はない。そもそも憲は突き落とした野郎の目と口しか見ていないのだ。
 玲華が警察から入手した、智真理と平良によるモンタージュ写真は見た。
 平良は信用できないとして、智真理のモンタージュを参考にするがそばかすぐらいしか特徴が無くぴんとこない。
 憲は智真理を最初に襲ったそばかす男の顔を見ていないのだ。それゆえいまいち自分を殺した相手として人格をイメージできない。
 それゆえすべてではないが、表面だけでもそのひととなりを知っている平良ばかりが気になるのだろう。
 と考えても、やはり智真理の笑みに返した平良のとまどいの顔。それは憲を殺したことへの、かすかな罪悪感のあらわれではなかったのか?
 憲はそう思ってしまう。
 玲華が占えない以上、犯人は罪悪感を感じているはずなのだ。
 罪悪感――植物が持たない、動物が持つ感情。
 人だけでなく、猿や犬までもが罪悪感を持つという。
 生きるために本能に仕込まれたもの。
 平良にせよそばかすの若者にせよ、どんな考えでもって罪を犯してきたのだろう。
「罪悪感か」
 憲は自分を殺した相手に対して、あまり憎しみを抱いていない。
 死ぬときに苦しまなかったし、死んでからあまりにも忙しかった。
 なにより憲は幽霊になっているからこそ、智真理を守れたのである。
 むしろ自分を殺した怒りより、智真理を襲った事実に対しての怒りがはるかに強い。
 平良もそばかすも、一回ずつ智真理を襲ったのだ。
 平良――
 あの日、そばかすの若者を追ったのは平良と憲だけだ。智真理は追っていない。
 追撃を体験しているのは、平良を除けば憲しかいない。
 だから二人がカメレオンの仲間であるということに、自分で言っておきながら釈然としない部分があった。
 身を以て体験したがゆえに。
 平良はあのそばかすの若者を知らないようであった――本当に平良とそばかすは仲間だったのだろうか?
 仲間だったら憲の足を引っ張るぐらいはするんじゃないだろうか。
 なのにあの日、平良は本気でそばかすに追いつこうとしていたように見える。だがそれは積極的な憲に引かれただけ、とも考えられるのだ。
 残念だ。
 憲と平良とそばかすがいっしょになって転がったとき、憲だけ置いていかれた。
 それが残念でならない。
 さらに下まで転がった平良とそばかすの間で、いったいどんなやりとりがあったのだろう。
 あるいはあそこでそばかすが迷っていたように見えたのは、やはり仲間で、平良と前もって打ち合わせてでもいたのだろうか?
 まずは仲間と仮定しよう。
 カラクリは――携帯電話を持っていたら可能だ。
 智真理が警察に連絡し、平良が憲の後をおいかけた。
 その間三人は完全にばらばらだった。
 平良は一人きりでいた時間があることになる。この時間にそばかすに連絡を?
 そう、可能なのだ。
 なにせ憲がそばかすを見失って一分ほどしてから、平良が来たから。そばかすと平良がそれぞれ一人きりでいた時間があるのだ。
 そのわずかな間に連絡を取り合い、平良はそばかすを確実に逃がすために、憲を騙そうとした。
 平良は、憲に表から回り込めと言った。
 それはそばかすを逃がすための手段とは考えられないか?
 だが憲は平良の提案を無視した。
 それゆえ平良は憲を――やはり平良が殺したのか?
 いつも食堂でオレに笑いかけていたあの平良が。
 体が震えた。
 あの緊迫した状況下でそこまでやったとしたならば、カメレオンなる組織はじつに恐ろしい集団ということになる。
 だけど平良は怪我をした。
 それがカモフラージュだとするなら、自分で落ちればいい話だ。
 だがあのとき平良はそばかすに突き落とされた。高さ三メートルで、暗いなかで。三メートルでも、落ち様では死んでしまう。死なないていどで済ますには危険だ。
 憲は高さ八メートルから落ち、頭を打って死んだ。こちらは確実に殺さなければならない。八メートルは必ずしも死ぬと高さとはいえない。
 オレの死を確認せず、平良が落ちる?
 せいや……
 憲が落とされたのは警備保障の車が通ってからだ。智真理が通報した件もあり、すぐにパトカーも来るだろう。
 だから確認する暇もなく、平良は当面のつじつま合わせで落ちたとも考えられる。
 実際パトカーは憲が死んでからすぐに来た。
 そばかすが突き落とした件だが――平良が怖くて自分では落ちられず、しかし時間が迫っていたのでそばかすが突いた。これなら仲間というのが説明可能だ。
 平良は落ちたあとで、憲の生死を確かめた。確認したとき、恐慌状態になって憲の死体から逃げた。
 自分が殺して、死を確認して、しかし怖くて逃げるというのが有り得る。
 またそばかすが殺したのを確認して、それでやはり怖くて逃げるというのもだ。
 いったいどちらなのだ。
 罪悪感――これのせいだ。
 自分でやっておいて、やった後に怖くなる。
 この感情が濃くあらわれたとき、殺人者は犯行後、通常の第一発見者となんら変わらなくなるのではないのか?
 せっかく憲は現場にいたのに、殺されてなお現場を目撃しつづけたのに、犯人がわからない。また事件の真実が見えなくて混乱しているのだ。
 殺人を犯す者がすべて沈着冷静な暗殺者だったら、かえってわかりやすいだろうに。
 憲にはわからない。
 あたりまえだがはじめての体験だったし、判断する情報が足りない。
 仲間という説の各事象に対する答案は、どれも一応説明が可能のように思われた。
 だが最後に「感情」の壁が立ちはだかって、肝心な部分にもやががかっている。
 どちらがオレを殺した?
 憲にとってはそれが一番肝心なことなのだ。
 ――さて、思索を進めよう。
 つぎは平良とそばかすが関係ないと仮定して、どうして憲が殺されたか、だ。
 そばかすが殺したとして、それはなぜだ?
 憲はそばかす男の顔を見ていない。
 そばかすは顔を見られたと勘違いしたのだろうか。または本当は平良を狙っていたのだろうか。ただ単に追われる恐怖から開放されたいがための攻撃だったのか。
 平良が殺した場合はどうだ。
 こちらは前提が必要だ。
 そばかすが捕まったら平良も危ないから殺した。そう考えないとしっくり来ない。
 とするなら、そばかすはなんらかの理由で、わずかな時間のあいだに平良がカメレオンの一員だと知ったことになる。
 そばかす男が犯人として捕まると、平良の正体を告白するかも知れない。だから平良は逃がそうとした。邪魔だったのは憲。だから殺した――だがこれは、そばかすが憲を殺したときにも成り立つ。べつにどちらが殺しても結果は変わらない……
 ……待てよ!
 なるほど。ひとつだけしっくりと行く説明があった! これならば憲が感じた違和感をすべて補完できる。
 憲にしか見えなかったことがちゃんとあったのだ!
 オレを殺した犯人を特定できる!
 幽霊になれて正解だ。
 それゆえ真相を究明できるかも知れない。
 だがそれには、条件が必要だ。
 そばかすが平良の仲間でない。
 かつ、そばかすは平良の正体を知っておいて、逃げる必要があった。
 これが証明できれば、その時点で殺人犯がわかる。ほぼ確実に!
 条件付きとはいえ、まあオレとしてはこれが精一杯だろう。
 さっさと解決したい。
 なのにこちらから働きかけるのは不可能だ。
 主導権は悔しいが逃げている側にある。
 玲華の権限がなくなり、憲が知れる警察捜査の新情報は限定されている。
 なにより智真理を守ることが優先する。殺人犯はいつでも探せるが、智真理になにかあれば取り返しがつかないのだ。
 憲は待つだけしかない現状を歯がゆく思っていた。
 あ、智真理が本を読むのをやめた。
 部屋を出ていく。
 やがて門から自分の白い、前カゴのおおきい自転車を押して外に出た。
 憲の自転車は先日の件で壊れ、修理中だ。
 従業員の誰かが知らせたのか、店のほうから心配した勇人と撫緒が出てきた。
 智真理はだいじょうぶよと手を振った。
 しかしさすがに親は許さず、母の撫緒が店の自転車でついていくようだ。
 智真理と撫緒は並んで走りだした。
 憲はふわりと浮き上がった。
 後を追わないとな……
 ――そんなときであった。
『来て!』
 玲華の招集がかかったのだ。

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